ADHD

ADHDの僕が、ADHDの診断をもらうまでのお話。

僕は、衝動性優位のADHDで発達障害です。

ですが、ADHDだと診断され判明したのは産まれてから20年以上経ってからでした。

それまでは、ADHD特有の症状で周囲の人間に迷惑をかけ続けてきました。

僕がADHDと診断されるまで、どう過ごしてきたか。

これから、お話したいと思います。

誕生から幼児期まで。

基本的に、すぐ泣く子で何かあれば大泣きしていたそうです。

寝ている時に、ビニール袋の「ガサッ」という音にも反応し

起きて泣いていたそうです。

また、物心がつき始めた時は自分の思い通りにならないと、

駄々をこね、地面に横たわって、最終的には大泣きしていたそうです。

基本的には、何かあると感情が抑えられなくなり大泣きしていた子でした。

幼稚園にあがる際も、同じような傾向は続いていました。

また、「待つ」ことが非常に苦手で親や先生に待てと言われても

無視して自分のやりたいようにしていました。

小学校に入学。ガキ大将で面倒な奴でした・・・

小学校にあがると、一目惚れした女の子に咄嗟にラブレターを書きます。

会ってばっかで話したこともないのに、です。

なかなか勇気のいることだと思いますが当時は衝動的に行動していたんですね。

まあ、結果はフラれたんですけどねw

基本的に、衝動性が強く思い付きで行動をとっていき、自分がしたいと思ったことはすぐに行動に移して実行してきました。

この行動力、今欲しいですねw

不注意の症状も現れていました。

物忘れとかはありましたけど、生活に支障がでない範囲でしたね。

よく転び、よくぶつかり、とにかくドジでしたね。

親からは不注意だとよく言われてきました。

いや、不注意だと言われて治るんやったら苦労せえへんわ!!!

そして、怒りに任せて行動するようになったのもこの時期です。

中学年から高学年あたりでしょうか、気に入らないことを言われたり、

されたりするとキレて暴力や暴言で対応するようになってしまいました。

大きな怪我こそさせずに済んだものの、たくさんの人に迷惑をかけてきました。

当時の人、ごめんなさい。

本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

そして、それは学校の方たちのみではなく、家族にも同じようにしていました。

基本的に、自己中心的で衝動的。すぐキレる面倒な奴って感じだったと思います。

そんな奴と上辺だけでも一緒に仲良くいてくれた人がいたことに、感謝しかありませんね。

また、高学年の頃、ブラスバンドのクラブに入ることになったのも、

このあとの人生に大きな影響を与えたのではと思っています。

中学校へ入学。吹奏楽部へ。

中学へ入学し、ブラスバンドをやっていた流れで吹奏楽部へ。

当時、入学当日?だったと思うのですが、体操服のハーフパンツを履いて登校するところを、履かずに家に置いて登校してきました。

忘れ物といったらこれくらいでしたかね?

親のサポートもあってか、あまり大きな忘れ物はやってませんでした。

人懐っこい性格から、先輩方からは可愛がってもらえたかなと思っています。

ですが、基本的にすぐキレるので同級生の人には迷惑をかけていました。

ですが、学校生活で何か問題を起こすと部活動出席停止などの処分がありましたので、ここら辺から自制をするようになりました。

ですが、同級生の眼鏡を壊したり、胸ぐら掴んで振り回したり、

酷いことをたくさんしてきました。

そういった衝動的なことをしていくと、当然クラスでも部活でも浮いた存在になりますよね。

なので、人間関係はあまり良くなく、自信も持てなくなっていました。

仲良くなっても、キレるから皆どうせ離れていく。

なんて思ってましたね。

いや、すぐキレるお前が悪いんやろ!!!って突っ込みたくなりますけどね。

変に中二病も拗らせていました。

自由が増えた高校生時代。

基本的に、携帯OK、帰りは寄り道OK、部活も緩かったので参加しなくてOKだったので、中学時代と比べてかなり自由になったのを覚えています。

高校も退学や停学になると、成績に響くので、自制も前よりは効くようになっていました。

ですが、基本は変わりません。

著しく低いキャパを越えたらすぐキレて、問題を起こしていました。

ですが、こんな僕ですがアルバイトは出来たんですね。

キレるっていったこともなく、平和に仕事はしていました。

大体、キレるのは学校か家でした。

当時の家族の話を聞くと、

「明らかに機嫌が悪い時は話しかけづらかった。」

「いきなりキレて、正直驚愕した。」

と言われました。

いや、まさにその通りで大迷惑極まりなかったと思います。

本当に、反省・・・

ですが、この時期くらいに忘れ物したり、自転車でヒヤリハットがあったり、不注意な面もあったんですよね。

学校行くのにスマホ忘れたり。

汗かきの僕は、汗拭きタオルを忘れた日には汗地獄になっていました。

自動車の免許を取ったのも、高校三年生でしたので、自動車の運転でもやはりヒヤッとしたことはありました。(運転するなよ・・・)

今、思えば小中学生の頃は親のサポートもあったり、悪知恵の起き勉をしてきたからか、忘れ物はそんなに多くなかったような気がします。

社会人時代。そして、結婚。

外ではキレることがかなり減ったものの、家族や彼女に対して良くキレていました。

高校時代に付き合い始めた、今の奥さんとはよく喧嘩していましたね。

彼女のほうもADHDなので、基本怒鳴り合いでしたw

よく結婚出来たなと思っています。

そして、この結婚を機に今まで迷惑をかけてきた家族の元を離れるわけです。

そして、奥さんと子どもと暮らすわけですが、そこで些細なことでキレるわけです。

奥さんもこのキレ方がおかしいと思ってくれて、何度も病院の受診をすすめてくれました。

そして、ようやくADHDと診断がされたというわけです。

最後に

様々な人たちに迷惑をかけ、傷つけてきた僕ですが、

本当にADHDだと判明し、治療できていることに感謝しかありません。

もちろん、もっと早くわかっていれば・・・と思い悔やんだことも何度もあります。

ですが、一度傷つけてしまった人たちは完全に元に戻ることはありません。

心は見えないですが、完全には治らないんです。

これからは、小さな子どもも2人いて守らないといけない立場になりました。

ADHDを治療して、生きやすい環境を作っていくことが僕の使命なのだと思います。

治療は、順調に進んでいて、衝動的な行動は抑えられています。

しかし、まだまだ課題はあります。

この衝動的な言動を良い方向へ活かせるように、

取り組んでいきたいと思います。

また、そうした取り組みをブログにまとめて、

少しでも他の人の役に立てれば嬉しいです。

なっがい文章、最後までお付き合いいただきありがとうございました!!!

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